第1回沖縄空手少年少女世界大会の開催
2020.08.13

 沖縄県は、「第1回沖縄空手少年少女世界大会」の開催に向けて準備を始めました。詳細などはこれから発表されますが、現時点で分かる情報をお知らせいたします。

 

  大  会  名:第1回沖縄空手少年少女世界大会

  主  催:第1回沖縄空手少年少女世界大会実行委員会、沖縄県、

       沖縄伝統空手道振興会

  後  援:国関係機関、県内市町村、県内マスコミ各社等(予定)

  実施期間:20213年8月11日(水)~18日(水)(予備日を含む8日間)

  会  場:沖縄県立武道館、沖縄空手会館

 

※新型コロナウイルス感染症の状況を踏まえ、実施内容の変更、中止・延期になる場合もございます。ご了承ください。

 

儀間真謹著「継続は力なり」
2020.07.31

 19225月、船越義珍先生は文部省主催「第一回運動体育展覧会」において琉球唐手術を紹介した。その後、柔道の総本山講道館で公開演武が行われた。その時、沖縄県立師範学校を卒業して東京商科大学(現一橋大学)に進学していた儀間真謹氏(18961989)が助手を努めた。  

 儀間氏は、師範学校で糸洲安恒や屋部憲通の諸先生に師事した。以後、空手の普及に努められ、現在、儀間派松濤館流空手道として儀間先生の空手が継承されています。

 下記、儀間先生が執筆した記事「継続は力なり」を紹介します。

 なお、2011年923日、「儀閒先生23回忌と樋口師範の古希のお祝い」というパーティが開催された。その時の沖縄県指定無形文化財保持者の東恩納盛男先生の挨拶文の中で、儀間先生の人なりが紹介された。下記に挨拶全文を掲載します

 

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「継続は力なり」

 

全空連相談役

八十一翁

儀間真謹

 

 (緒言)私の生れた処は、沖縄首里金城町で、谷底見たような、何処へ出るにも石畳の崎嶇羊腸たる坂道で、幼い頃、素足で駈け昇り降りしたので、脚が丈夫になった。また赤貧洗うが如き家のため粗衣粗食、上級学校に進む時も無学資、アルバイト等した。その上、父五十七歳、母四十六歳の老の子で体が弱いので、健康第一と十五の時、空手、静座法に専念、一方スマイルスの西国立志伝や修養本を繙読して、丹そ偉人傑士は貧の蒸溜器を通過したものと、大いに発憤した。

 次に、空手新聞社からのご依頼により私の拙い体験から、前途有望の後進のために、老婆心から、空手について一言―

 「正しい拳は正しい心から」-そもそも空手道の目的は、心身の鍛錬にある。つまり空手道を通じて人格完成に心掛けることで、昔、沖縄では空手の達人を武士といった。人格者即ち君子の謂である。

さて、技術は鍛えれば、ある点に達しられるが、精神的の面は、終生到達点がない。四六時中猛鍛、苦鍛、禅と同じで常住坐臥空手に精通することで、拳禅一致という所以である。

 また、よく稽古せよというが、稽古とは古(いにしえ)を稽(かんがえる)ということで、「温故知新」という言葉通り昔の拳聖の苦心惨胆、編み立した形をみっちり学び(学びは真似ること)反復練習し、それをもとにして生々発展して行くこと。そして三日坊主でなく努力、努力、生涯続けること―「継続は力なり」といわれている。

 老兵は消えてゆく。春秋に富む若人よ我々老人を飛び越えて猛進されんことを熱望して擱筆する。終りに愚作一つ。

 人多き人の鑑(鏡)にならばやと

 磨け若人 空手魂

 

(筆者は東京都空手道連盟顧問、渋谷区空手道連盟会長)

 

空手新聞 第98

「展望車」コーナー

発行所:空手新聞社

発行日:昭和52820

 

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<<東恩納先生のメッセージ>>

儀閒 真謹先生

 樋口邦夫師範の御手紙儀間先生の二十三回忌法要と拝見し、四十年前の代々木修練会道場時代を 思い出してきました。儀間先生がお亡くなりになってから早や二十三年前だと知り、時のたつのが 早く感じました。
 儀間先生は武道家であり、教育者でもありました。先生は文武両道を会得された武人であったとい えます。儀間先生は空手を日本に普及された功績は大きいと思います。
 船越義珍先生と共に、嘉納治五郎先生のお招きで柔道の大本山講道館で空手の型を演武披露され、 空手の普及発展のきっかけをつくったこと(尽力)は大きいです。
 私が儀間先生にはじめておあいしたのは一九六〇年時代で、代々木修練会、長崎飯店の二階の宴会 場であったかと思います。その後新垣先生の依頼で週三回(火・木・土)代々木修練会道場で指導さ れたと思います。
 儀間先生の代理として樋口邦夫師範が助手として指導されていたと思います。儀間先生は教育界を退職 し、鹿島建設に勤務され、同建設会社の空手道部を指導された。東京の日本武道館での全日本空手道選 手権大会に於いて樋口師範を相手に模範演武を拝見したことがあります。投げ技が見事な演武で未だに 脳裏に浮かんでいます。普段の儀間先生は穏やかな物静かな人物だといえます。
 儀間先生は沖縄空手の歴史、とくに人物に詳しく、人名・年月日詳細に語られたことに感銘を受けた ことがあります。儀間先生から私は棒の型を教わったことがあります。儀間先生は船越義珍先生の三男 義豪先生からの伝授だということで教わりました。とくに印象に残ったのは、棒の突き方が非常に力強 く迫力があったことは未だに忘れません。
 道場訓も儀間先生のおしえでした。代々木修練会道場で稽古された門人全員流派関係なく儀間先生の徳 にふれていますので、皆んなの心の中に儀間先生は生きております。私自身はせんせいのご恩を一生の 宝として心にきざみ精進したいと思います。
 儀間派松濤館流は樋口邦夫という立派な武道家が継承されています。継承された樋口邦夫師範には心から 敬意を表します。儀間先生には心からなる感謝を祈り捧げます。
 合 掌

国際沖縄剛柔流空手道連盟
主席師範 東恩納盛男 拝

参考資料:儀間派儀間派国際空手道連盟のウェブサイト

新しい旅のエチケット
2020.07.30

 

 広報担当のミゲール・ダルース氏がアンバサダーを努めるクールジャパンの精神のもと、国内外の旅人の為「旅行連絡会」が作成したリーフレットを紹介します。このような困難な時代に刺激になることを願っています。

 PDF形式のデータはこちら

 

 

 

 

2020年度「空手の日」奉納演武及び記念演武祭について
2020.07.16

 令和2年度(2020年)は、新型コロナウイルス感染症の拡大と皆様の健康・安全・安心を考慮し、規模を縮小し、招待者のみで実施することとしましたので、ご理解くださるようお願いします。
 イベントの模様は、インターネット配信をする予定ですが、詳細は決まり次第お知らせいたします。

 

 

 

心に残る空手の重鎮の言葉
2020.07.13

 

 空手と言えば沖縄!沖縄と言えば空手と我々が自負し自他共に容認されてきた空手が今やその形を変え趣をこらしてスポーツ空手として雨後の苟のように世界各国の隅々に至るまで空手道場が乱立し、新聞や雑誌に小説に或は映画にテレビによって宣伝されている今日この頃でございます。

 例えば今から四年前に東京の武道館で第一回世界空手道選手権大会が開催されましたが、世界三八ヶ国から選手が集いバトン演奏の中に手に手に各国の国旗を掲げて整列した雄壮は世界オリンピック大会の一部を想像させるに充分でありました。一昨年は同じ大会をアメリカのニューヨークで今年はフランスのパリで開催される予定になっております。そこで空手の本場本場と口にしている沖縄の空手は今のままで良いのであろうかと私達連盟の幹部は流派長会議や理事会で度々議題にして研究し続けている現状であります。

 然し乍ら武とは書いて字の通り弋を止めるものであり身を護り体を鍛り世の為人の為に役立つよう教訓を受けてきた空手でありますので飽迄も「奥妙在錬心」標語に掲げ「古きを尋ねて新しきを知る」の言葉通りもっともっと深く根強よくその真随を探究し、我等祖先の残された遺産を今後共保持してゆく為に一層の努力をおしまない者であります。単に実戦は誰が強いとか、力量は誰があるとか、演武は誰がよいとかは未だ未だ次の問題であると思っております。本日の大会はそう云う意味から若きは小学一年生から老いては七十余才の方々まで一生懸命演武を致す所存でございます。中には日浅く皆様が微苦笑される節も多々あろうかと存じますが私達の意のある処を吸みとり下さいまして最後までご観覧あらんことをお願い致します。

 

 1974421

 第7回空手道・古武術演武大会

 主催:全沖縄空手道連盟

 全沖縄空手道連盟会長 八木明徳

 会長祝辞からの抜粋