2019/05/14

 

【沖縄タイムス】19611115

古武道① 

沖縄古武道協会(会長比嘉清徳氏)では文化財保護委員会、琉球新報社、沖縄タイムス社の後援で26日午後1時から那覇劇場で初の発表会を開く。これは滅び行く郷土の古武道を復活させようというもので、全島各地から50人余の権威者が参加し、棒、サイ、鎌、ヌンチャク、テンペ―など、60余種目を演武する。83歳の野原浦一翁(東風平村)の高齢者から24歳の年少者までまじえ、発表会にそなえて張り切っているが、そこで主なる出演者の横顔を紹介しよう。

 

筑佐事から直伝

喜納昌盛氏(79歳)

サイ

 

 「サイ」は昔 筑佐事(捕吏)が携行して王様の護衛や群衆の整理、または犯人を捕まえるために使用したもので本土の十手に似ている。

 喜納さんがサイを始めたのは十八歳のとき、村の先輩や友人から手ほどきを受けた。喜納さんの出身地島袋(コザ市)は非常にサイが盛んで、一種の護身術として村の青年たちに普及されていたという。しかしこれらはいずれも自己流筑佐事のまねをして習得したものであったようだ。

 現在沖縄にサイの使い手はたくさんいるが、流派はなく型が統一されていない。喜納さんのサイは首里城に使えていた筑佐事の大筑(役名)から直伝されたので、いわゆる正統派ということになる。サイは「打つ、受ける、つく、打ち落とす」のが主で、護身のための武術である。喜納さんは「天の下で悪いことはできない。サイに先手なし」と弟子に教えていると語っていたが、三十二年間教職につき、またクリスチャンとして静かな余生をおくっている。弟子には喜屋武真栄、泉川寛徳、喜納昌伸さんなどサイの使い手として知られている人がいる。「もう八十歳になるおじいさんだよ」と喜納さんは大きな声で笑っていたが、サイを使う手さばきは鋭く、こんどの那覇劇場での発表会は生涯をかけて習得したサイの技と奥手を紹介したいと語っていた。明治十五年生まれ。 

 

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南京で〝術〟を修業

新城平三郎氏(47歳)

空手術

 

 大正三年読谷村字宇座に生まれる。父が空手の好きな人だったので、小さいころから空手に親しんだ。十七歳のとき父の勧めで中国(南京)へ渡り、官明先生の道場で空手術の修業をした。空手は武器や芸でもない。精神の鍛練が目的である。空手術・・・〝術〟というのは精神の修養を意味するものだと、話している。発表会では八番線(針金)を腕に通すことになっている。細い火ばしのようなもので、空手で気合をかけ、一気に腕を通してしまう。一滴の血も出ないし、何の痛みも感じない、というから人間わざとは思えない術である。

 この術を習得するには、よっぽどの精神の修養を積み、六年間も没頭した。空手で鍛えたがっちりした体格、盛り盛りとした筋肉が、鍛錬の苦しかったことを物語っている。

 戦後、本土(鹿児島)に引き揚げたが、高松宮殿下が鹿児島へおいでになったとき、歓迎会で空手術を披露した。今までに十八回、八番線を通したが、高松宮殿下の歓迎会でやったのが、一番印象が深く、陛下も不思議がって、痛くはないかと労をねぎらわれたという。

 術をかけ針金を通してしまえばそれまでだが、精神統一を行い、術をかけるときの神経と体力の疲労はなみたいていなものではないという。「こんど久しぶりに公開できるので喜んでいます。その日の術のかかりぐあいがうまくできるか、できないかの分れ目になる。沖縄では私だけしかできない空手術だといって、古武道協会が推せんしていますので、ぜひしっかりやらねば・・・」と、八番線を手にしてはりきっている。現在那覇市西武門で製靴店を営んでいる。

 

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