2019/09/02

     8月29日に、石川市にある沖縄県警察学校で、初めての沖縄県空手道連盟による段位審査会が行われた。

 

 

 沖縄で空手と警察と言えば、三大流派の長嶺将眞(松林流)、宮城長順並びに宮里栄一(剛柔流)、米須清(上地流)などの先生方の名が浮かぶ。4名とも、警察官や教官として活躍しつつ沖縄空手の大家として足後を残した。(注釈①)

 日本の警察では、柔道・剣道の初段をとらなければ、警察学校の卒業ができないぐらいの世界で、卒業後、柔道又は剣道の稽古も続く。

 しかし空手発祥の地において、沖縄の警察官になろうとする男女たちは、柔・剣道だけでなく、沖縄伝統空手の稽古にも励むようになっている。

 県警察学校の空手導入は2013年に遡る。指導を担ったのは、当時警部補で剛柔流6段の与儀実勝氏。その後、同じ剛柔流で警察官の都澤隆幸氏も指導を担ったが、正式な校内師範席がなくて、2年間ほどの空白ができた。

 「校内で空手指導が継続するには、転勤などで空席とならない指導者の派遣と目標を持たせて継続につながる段位審査の導入が必要」と県警本部主席監察官・警視正、上地流拳優会8段の松崎賀充氏は考え事業化を働きかけた。

 

(松崎氏と校長の富山氏)

 

 県空手振興課の「平成31年度沖縄空手指導者派遣(県内普及促進)事業」(注釈②)を目にした松崎氏は、県警学校で空手指導が復活できるように課長の山川哲男氏に相談し、県警学校長で剣道7段の富山嘉津男氏の理解と協力を得て65日に空手の授業がスタートした。

 それから上地流拳優会の比嘉進先生を中心教官に、上地流の三戦と小手鍛え並びに普及型III等をベースとした短期生(大卒)と長期生(大卒以外)の稽古が始まった。

 ある教官は初めての稽古をみて、「ダメだな」と当時を思い返したが、稽古に励んだ短期生47人(内女子10名)の皆さんは、829日に、県空連会長で松林流範士10段の平良慶孝氏を含む9名の審査員の前で初めての初段審査に挑んだ。

 

 

 審査の内容は、基本動作、普及型III、三本組手、三戦、小手鍛え・下肢鍛え。3コートに分けられ全員、日ごろの稽古の成果を披露した。結果的に、47人中39人が合格した。

 

 

 

 柔道や剣道に比べて、県警において空手はまだ正課ではないから、「物足りない受講生は、落としていい」と松崎氏の指示を受けた審査員は厳しく評価し、県空連発行の初段の価値を見守った。

 審査会の講評で県連副会長・拳優会会長の新城清秀氏は、「力強い皆さんにとって、稽古時間が少なかったからか、立ち方等が未完成で合格できなかったものがいても、皆さん、逞しくそして痛みの分かる優しい警察官になっていただきたい」と述べて、審査会は終了した。

 それでも県警学校短期生は、6月から8月のわずか20時間だけで、立派に育った。不合格の数名は、また次回の審査に向けて頑張っていくことをその場に誓った。

 長期生は、12月まで、週1から2回のペースで空手を学び続ける。もちろん、剣道或いは柔道と逮捕術も必須であり、空手の稽古は、それに加えた鍛錬となる。

 「空手が琉球警察に導入されたのは大正7(1918)のこと。よくない悪に対して構えていくことを考えると、空手は助けになる。また喧嘩の分からない生徒たちに、小手・下肢鍛えやお腹を突く練習をすることで、痛みが分かり、動揺しなくなり、正しい判断ができる。鍛えることは自信にもつながる。県警学校に空手を導入したことに対し感謝致します」と松林流流祖・長嶺将真先生に師事した県空連平良会長は反省会の挨拶で述べた。

 「6月大阪で、巡査が刺された事件がありました。先手なしの空手で強い警察官を育てて欲しい」と富山校長はコメントした。

 今後とも警察学校生は、沖縄伝統空手の鍛錬を通して磨いた拳と心で、沖縄県民の安全安心を守ってゆく。

 

 

注釈①

 長嶺将真先生(19071997)は、1931年12月に沖縄県巡査を拝命し、最初の赴任先は沖縄中部の嘉手納署であった。2年間の在勤中に、喜屋武朝徳に師事した。その後東京警視庁へ研究巡査として派遣された時(1936年4月)半年余にわたり本部朝基に師事した。長嶺は永年勤めた警察官を退官し、19531月那覇市内に本格的な空手道場「松林流空手道興道館」を建設した。(参考:沖縄空手古武道辞典、長嶺空手道場ウェブサイト)。

 宮城長順先生(18881953年)は、1922年から沖縄県巡査教習所において武術の指導を開始した。1946年、具志川に開設された沖縄民警察学校の空手教育官に就任。(参考:沖縄空手古武道辞典)。

 宮里栄一先生(19221999年)は17才から那覇市松尾において宮城長順先生に師事。警察官時代から宮城長順先生を補佐し警察学校で指導された。(参考:沖縄剛柔流空手道協会ウェブサイト)

 米須清先生(1942~1980頃)は、上地完英先生に師事し、同系ある高段者によると「上地流の警察官と言えば当時はヒーローでした」。20代後半に退職し東京八王子で道場開設後に、下地康夫先生に譲って帰沖し、首里坂下で道場開設した。

 

注釈②

 沖縄県空手振興課「平成31年度沖縄空手指導者派遣(県内普及促進)事業」の事業概要は、下記の通りです。

  (1) 宮古地域及び八重山地域における講習会の開催

 宮古地域及び八重山地域に指導者を派遣し、地域の空手指導者や審判員を対象とした 講習会を開催する。 

  (2) 沖縄県内における沖縄空手の出張講習・実技指導

 沖縄空手の活用ニーズを有する団体へ空手指導者を派遣し、実技指導や沖縄空手の精神性及び歴史を学ぶ座学を含めたプログラムを実施する。