2020/04/14

沖縄公開の夕べ

全国特別招待模範演武 <上>

(1969年9月20日掲載)

 

(沖縄タイムス社提供)

 

 十月十日、日本武道館で全国の空手ファンに披露する空手道・特別模範演武の「沖縄公開の夕べ」が、二十五日、沖縄タイムスホールで行われる。すでに全日本派遣のメンバーとプログラムも決まり、各演技者とも、初の全日本公演で、本場の空手道の“真髄”を発揮しようとはりきっている。そこで沖縄空手道界の権威者である範士六人に登場してもらい、演武種目とその横顔にスポットをあててみた。

 

ローチンは〝秘技〟の一つ

兼島信助範士正(渡山流信道舘主)

 七十三歳の長老で、沖縄空手道界の唯一の〝範士正〟(1)。祖先の時代から空手道に専念した家柄で、兼島範士正は恵まれた環境で、十五歳のときから空手道をはじめた。初めの四年間は、本部朝勇先生の指導をうけ、そのあと台湾省へ空手の修業へ行った。台湾では首里出身の渡山朝義先生の門下生となり、二年余も修業をつんだ。現在は与那原町の自宅で渡山流と名乗り、老齢ながらも、空手で鍛えた丈夫な体力で、後進の指導に情熱を傾むけている。

 今回の公開演武の渡山先生から伝授したローチン(竜進)を披露する。ローチンは渡山先生の苦心の作で、身を守るためのあらゆる技がとりいれられているとのこと。いまでは兼島範士正の〝秘技〟の一つのようで、沖縄に一人、熊本に一人の高弟にしか教えてない。カメラマンの注文に応じ、自宅の道場でローチンを演武したが、兼島範士正の〝秘技〟の演武とあって、一段と真剣な表情をみせた。

 兼島範士正は、このローチンの全国公開を、手ぐすねをひいてまっているが、兼島範士正は「本土では空手道が試合化されたため、四十歳を過ぎると、ほとんど審判面にまわり、自ら汗を流すことをしない。おじいちゃんの演武はさぞかしびっくりするだろうが、そのためにも力強い演武をみせなければいけない」となかなかのハッスルぶり。

連盟の会長で❶本場の空手道が流派を越えた大同団結 ❷県外への正しい空手道の紹介が目標という。

メモ:

(1)全空連の「空手新聞」(1969820日付け)に『沖縄空手界の現況』という記事が掲載された。そこでは、山口剛玄理事、兼島会長、渡口政吉師範、八木明徳副会長はこんごの空手問題について語った。冒頭では、八木氏は「沖縄の空手は、現在、小林、少林、松林、上地、剛柔の5派にわかれ、道場数は三十ある。有段者は約300名、段は5段まで、その上は錬士、教士、範士の三つに分かれ、範士で七十才をこえたものには範士正の称号が与えられている」と発表した。<注 現在範士正は兼島会長ひとり>

 

真の公相君を演武 長嶺氏

長嶺将真範士(松林流長嶺道場主)

 十七歳のころから四十余年間も、空手道の精進に余念がない。大先輩の新垣安吉、喜屋武朝徳の両氏から空手道の手ほどきをうけたあと、泊の松茂良興作、首里の松村宗根氏からもきびしく指導された。そのため両氏の姓から「松」の字をとり、終戦直後、現在の那覇市美栄橋町に〝松林流〟の道場を開設した(1)。昨年まで全沖縄空手道連盟の初代会長をつとめ、本場の空手道界の健全な育成にあたるかたわら、俗に言う「泊手」と「首里手」の伝統の型を門下生に教えている。

 パッサイ、鎮斗、公相君の三つが特意技であるが、日本武道館では公相君を披露する。公相君といえば、素人には耳なれない言葉ではあるが、クーサンクーとして親しまれてきた古い型である。大島筆記の記録によると、二百年前、公相君という支那の冊封使が琉球王朝で演武したのが、クーサンクーの起源とのこと。大男を倒した型のようで、機敏な人に好まれている。長嶺範士は小柄で、いまでも若者顔負けの身軽さでクーサンクーを演武する。とくに足ゲリと演武線が十字型になっているのが特徴。また演武が長いということで、琉舞でいえばちょうど伊野波節にあたるそうだ。

 長嶺範士は「本土では試合中心の空手が普及されたため、この公相君の型もだいぶ乱れて普及されている。日本武道館での絶好のチャンスに、正しい型を披露したい」と、いまでも飛んで行こうかなといった表情。空手道が盛んだった泊の出身で六十二歳。

 

メモ:

(1)【訂正】上の長嶺範士の紹介で長嶺範士は松茂良興作、松村宗棍の両氏から指導をうけたとあるのは、両氏の直弟子の本部朝基、喜屋武朝徳の両氏から指導をうけたの誤りでした。(921日の新聞に掲載)

 

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