2017/07/14

沖縄県指定無形文化財保持者、上地流範士 友寄隆宏先生の指導体験談

聞き手:長老の先生で、直で伝わっていることに価値があるものです。それで、早速ですが、友寄先生が米兵の熱心な人たちに空手を5、6年のものを一年で徹底して教え、その成果が花開いた事例があると聞きました。ぜひこの話を聞かせて下さい。沖縄の空手の素晴らしさは、沖縄空手を直接指導した人から話を聞く価値があるからです。今回の体験談は、貴重な記録と思い、聞かして下さい。宜しくお願いします。

 

友寄先生:分かりました。実は、1955年又は56年に、宜野湾市野嵩の上地流の道場がかなり有名になって、外人がくるようになった。その小さな道場に通訳がいないものですから、上地完英先生が英語の少し分かる私に頼まれ、先生の側で説明をするようになった。しばらくすると、読谷のトリーステーションから来た人たちが一番熱心でした。そのなか7、8名が来たとき、上地先生は対応難しいということで、私が指導するように言われて、私の家で指導をすることになった。この人たちは一週間何回かではなく、毎日365日、毎日夕方5時から8時まで練習した。そのなかで特にすごく熱意の高かった一人がジョージ・マットソンさんでした。この人は大物になると思って徹底的に鍛えた。

 その時、私が考えた事は、この人たちは一年しかこられないと思い、私が習った事をすべて一ヵ年で教えてみようかと思った。私は、試しのつもりでやって徹底的に指導した。そうするとこの人は本当に強くなった。毎年一回上地流の昇段試験があった、普天間の道場で。マットソンに初段を受けるように行かしたら、沖縄を全部ひっくるめて最高点を取った。

 彼もすごく自信につながったでしょう。特に毎日の鍛え、入れたのを、受けて、叩くという小手鍛えは、相当鍛えてた。あるときバーで兵隊同士が喧嘩となった。マットソンは、攻撃を腕ではねたら相手の腕を折った。それで部隊内で大騒ぎになった。受けた人ではなく、受けられた人がやられたというので、希望者がわっと来た。しかし私は対応できない。12名以内にしか教えられないので、後は、他所の道場に行くように指導した。その一カ年間で鍛えたのはこのジョージ・マットソンです。

 帰るときに、ジョージに訊いた:「アメリカに帰ったらあなたはなにをするの?」。彼は「まずは大学に行きたい」「OK分かった。大学に行ったら、同期生の中から、とてもいい心を持った青年5、6人を選んで教えなさい。そうすれば、あなたも止めずにずっと続けていける。まず教えてごらん」とアドバイスした。

 マットソンが鍛えた6か7名ですが、その父兄が“私の息子は変わった。心と体の大きな変化に沖縄空手はすばらしい”ということで、その父兄がお金を出し合って、東京の銀座みたいなところであるボストンの一番街のハンコック通り(1)というところで父兄が道場を買って提供した。そこで集って練習した人は学校の仲間で、特にお医者さんや弁護士がいっぱい来た。

 その後、ジョージ・マットソンが「THE WAY OF KARATE」(2)という本を出版し、ベストセラーになったものです。それで空手が一気に有名になった。これがアメリカにおける上地流空手の普及のはじまりだと思います。それで、色んな流派の方々が沖縄の兵隊を通して紹介された。

 1966年では、上地完英先生と一緒に呼ばれ各地で演武大会をやったら、ニューイングランド地域で上地流が有名になった。1968年、ジョージ・マットソンの弟子のウオルター(3)たちに呼ばれて、ずっとここで教えてほしいということになった。

 せっかく行くのであれば、行きながらハワイも見てみよと思って、二日三日ハワイに滞在した。そこで、ビザの手続き中に入管のオフィサーに「Mr. Tomoyose, are you going to work in the States?」(4)と言われた。英語は何にも分からないのであれば問題なかったが、少し分かっていたのだから「Yes, if there is any possibility, I want to」(5)。そこで、私のビザである旅券が無効になった。本来ならばすぐに日本に強制送還するけど、「あなたの最終目的はボストンですので、そこまで行かすが、その代わりボストンに着いたら、入国管理事務所に出頭しなさい」と言われた。大変と思ったがどうしょうもない。

 ボストンに着いたら、いろんな人が迎えに来てくれたが皆分かっている。どうするかということを考えたが翌日早速ボストンの入国管理事務所に行ったら、「あなた、上手く引っ掛けられたね!」と言われた。入管法の違反ですので帰らないといけないが、ただし、アピールするのであれば、三ヶ月間は滞在可能とも言われ、私のスポンサーはすぐアピールし自動的に三ヶ月間の滞在許可をもらった。それで早速協議をして、ボストン入管の上部は、ロードアイランド州の入管ということでそこに行こうとした。そこの入管チーフを大変大きな友寄先生歓迎パーティーに招待して、私の幹部たちがこの方にアピールしたら、彼は「Leave it to me6)」と答えてくれて、皆は喜んだ。正しい、必要な書類があるので、その書類を提出しなさいとも言われた。書類をもらうと、スポンサーは何名でどういう人がスポンサーか記入する欄があった。

 第一号とスポンサーになったのは、エドワード・ケネディ(7)。次は、上院議員のブルック(8)、GEのジェネラルエレクトリック社の社長、テキサスオイルコーポレーションの社長、大学の教授たちなど。全部で、8名の有名な人たちが記載し提出したら、入管のチーフが驚いて、アメリカの政治経済を動かす人がバックにいると、下手したら首飛ぶと!そこで、本人はこのケースをワシントンに送った。そこには、似た様なケースが過去にあったので、これを事例にくっつけてボストンに送り返した。

 再びボストンに呼ばれて、入管のチーフに迎えられ頭下げられて、「友寄さん、おねがいだから、何にも訊かないで沖縄に帰ってくれ」と言われた。尋ねても、何にも訊かないようにと言われた。「そのかわり、沖縄に着いたらすぐ、ワーキングビザを申請しなさいと。アメリカで働くための旅券。100%OKしますから」と言われた。その話をケネディに持っていくと、「心配しないで私に任しなさい。必要でしたら、ニックソン(9)に会いに行く」と言われた!みんなは喜んで、ケネディに任せようと決めた。

 そうしたら、最後に東部ニューイングランド一帯の入管最高機関はバーモント州にあるということでそこに行ってくれといわれた。そこにパスポートを持っていったら、大騒ぎになり入管受付のスタッフが私に挨拶しにきた。理由分からなかったが、その後チーフが出てきて、「友寄さん、入管事務所では、あなたの名前を分からない人はいないよ」と説明した!後に、オフィスに入ると、バーモンド州の入管長の息子が上地流の生徒であったことが分かった。結局問題なく10ヶ月アメリカにいました。

 しかし、高校受験の息子の相談が必要と家内から連絡があり、いったん帰ろうと決断した。ケネディさんに呼ばれて、「帰るのか?なら、子供を含め家族全員を呼びなさい。ここに家がありますから!」と言われたが、帰りました。

 帰る前にある日、ニューヨークの道場で指導を終えたら、私に電話があった。知らない人から「ニューヨークのヘリポートまで来て下さい」と言われた。そこにタクシーで行ったら、ハーバード卒業の国連事務所で上地流を教えていたデイビッド・フィンクルステイン(10)の弟子でヘリコプターのパイロットに迎えられ、「先生、どうぞ、乗って下さい」と言われた。それで、ニューヨークの上で15分ぐらい飛んだ!その後、ロードアイランドにある古い城の玄関前に下り、知らない女性に迎えられ案内され、「友寄さん、お昼食はまだですね?」。それですぐ、ご馳走が出された。後に、テキサスオイルコーポレーションの2代目が運営する五つの植物園の内のオリエンタル(日本)植物園に2時間散歩した。

 とにかく、格がまったく違いすごい人です。ある日、ジェット機でパーティーに行くくらいの人が、「友寄先生は、書もやるそうですね。私のために何か書いてもらえませんか」と訊かれた。ボルペンしか持っていなかったから大変と思ったら、大きな中国の古い硯、墨、筆、紙、全部出された。逃げられないので、「水急不流月」(11)という字を書いた。どういう意味かと訊かれると、「フィリップさん、頭でイメージしてみて。ナイアガラのような大きな滝があって、そこにお月様が映っている。この水の流れがどんなに速かろうが、あの月を流すことは出来ない。Everlasting friendshipという意味です」。印鑑も持たないでで、ただ名前を書いたが、とても喜んでもらった!

 とにかく、アメリカでとんでもない人にあっている。エドワード・ケネディ、GEの社長、テキサス石油の王。ブッシュ大統領が市長時代のサイン入り名誉市民の書状ももらった。空手をやっていなかったら、こんな素晴らしい体験は出来なかったでしょう。

 

聞き手:沖縄空手の良さは、ファイティングスポーツではなく、競争ではなく、人間形成をすること。そして、平和を求めるという、争わない心ですね。

 

友寄先生:そこですよ。アメリカの人たちに受けられたのはそこですよ。お医者さんたちも沖縄空手の良さを理解したということで、その医者たちが自分の治療にこのフィジカルトレーニングを取り入れた。そしてすぐに、女の人のお産のときの腹筋に非常に大事なことだと気づいた。腹筋を鍛えるには空手は最高だと判断した。その経験者もみんな安産ということで、広く空手を宣伝した。沖縄では、女の人はお産があるから空手を教えるなと言う逆のことになっていた。しかし、婦人の腹筋を鍛えるには空手が一番いいということで婦人で空手を習うのが多くなった。

 

聞き手:沖縄の空手の価値を県で学術的にきちっと整理して、世界に伝わるようにしていかないといけません。そのため空手課を作らそうとしています。沖縄空手の良さと魅力は、勝ち負けではないことを知らせるため。

 

友寄先生:これは大事です。私もいつも新しい外人が来るとき、「あなたはなぜ空手を習うとしているのか」と訊くと、まじめの彼らは、喧嘩に勝つためと答える。「相手を倒すためのなら止めた方がいいよ。それより、拳銃の打ち方を習ったほうがいいよ。そのほうが早いよ!アトミックの時代に、この空手で相手を倒すと言う時代ではない。それより、これを通して、体を鍛え、心を鍛え、これが大事なポイントですよ。相手を倒す目的なら止めなさい!」と私は言う。

 

聞き手:今、世界が求めているのは、心と体を鍛えて、相手と争わない、平和を求めるという心です。これが沖縄の空手の目的です。世界には、この沖縄空手のようなものはありません。

 

友寄先生:その通りです。例えば、チャンミーグワー(12)が、晩年になって、「自分はね、誰も倒すことなく一生を送れたことが最大の幸福だ」とおっしゃった。まさしく武人だなあと思います。

 

聞き手:今日この素晴らしい話、ありがとうございました。

 

脚注

  1. Hancock Street, Boston
  2. 1963年発刊。200ページ、Charles E. Tuttle Publishing。2回発行1993年。
  3. Walter Mattson(1939年生まれのアメリカ人、高良信徳先生の高段者、範士十段)
  4. 和訳:友寄さん、合衆国で仕事をする予定ありますか?
  5. 和訳:ハイ、何かの可能性があれば、そうしたい。
  6. 和訳:私にお任せ下さい!
  7. Edward Moore “Ted” Kennedy(1932- 2009
  8. Edward William Brooke, III(1919- 2015)。マサチューセッツ州検事総長、連邦上院議員。アフリカ系アメリカ人として初めて、一般投票で選出された上院議員。
  9. リチャード・ニクソン(1913- 1994)第37代大統領を歴任(任期は1969年から1974年)。
  10. David Finkelsteinはマットソンの弟子。8段。2015年死亡。
  11. 友寄先生曰く、「水急なるも月を流さず」。
  12. 喜屋武朝徳 (1870- 1945

 

補足説明:この体験談は、2016126日、沖縄県立総合教育センター小会議室で行われ、2016212日「空手振興課の設置要請」に関する陳情の資料として沖縄県知事翁長雄志に手渡しされました。体験談の聞き手は、沖縄の空手古武術保存会相談役の亀川爵氏。記録者は現、沖縄空手案内センター広報担当のミゲール・ダルーズ。友寄先生の了承を得てここに掲載しています。