「環」シリーズ:トンクァー(トンファー)の鍛錬型
2021.02.09

  沖縄空手「環」シリーズ第7話では、古武道の伊敷秀忠先生は「トンクァー(トンファー)」の鍛錬型を紹介します。

https://www.youtube.com/watch?v=_KaLUlq5IdY

「環」シリーズ:ヌンチャクの逆手構え
2020.12.10

 沖縄空手「環」シリーズ第3話では、沖縄伝統古武道保存会文武館で県指定無形文化財保持者の仲本政博先生はヌンチャクの「逆手構え」を紹介します。

https://www.youtube.com/watch?v=w4BQ8hlUcec

 

記事「80翁も〝エイヤッ!〟」(沖縄タイムス)
2020.04.09


80翁も〝エイヤッ!〟

超満員の古武道発表会

沖縄タイムス、1961年11月27日掲載

 

 沖縄古武道協会主催、文化財保護委員会、琉球新報、沖縄タイムス後援の「第一回沖縄古武道発表会」が二十六日午後一時から那覇劇場で行なわれた。大田主席や兼次那覇市長、それに来島中の本土観光団も顔をみせたが、会場は一、二階とも超満員で窓にもすずなりだった。

 演武種目は「パッサイ」「クーサンクー」などの空手、サイ、ヌンチャク、鎌、気合術、逮捕術などこれまであまり発表されてないもの八十近く。出演者は遠く南大東をはじめ、全島各地から参加、地方にかくれていた独特な古武道を発表した。若い出演者にまじって八十三歳になる野原蒲一さん(東風平村)、八十二歳になる伊礼松太郎さん(コザ)、七十九歳になる喜納昌盛さん(コザ)ら高齢者もまじって若ものをしのぐ迫力ある技をひろうし、満場の拍手を浴びた。

 

 大田主席の話 祖先から伝わる古い武道を保存していこうと発表会をもったことは有意義なことと思う。これまでに見たことのないものもおおい。その優秀性を通して祖先の高い文化に接して誇りと自信をもつことができたように思えた。都心部だけでなく全琉的に古武術が愛好されているということがいえるのではないか。新しい文化創造への原動力になればしあわせだ。

記事「一挙一動に感銘」 (琉球新報)
2020.04.09

一挙一動に感銘

20年来の悲願 古武道、発表会開く

琉球新報、19611127日掲載

 郷土に古くからつたわる武術道を永久に保存普及しようという趣旨で古武道協会主催、沖縄タイムス、琉球新報後援の「古武術発表会」が二十六日午後一時から那覇劇場で催された。

 武術道の保存については二十年も前から関係者の間で熱心に叫ばれ、撮影フィルムによる保存もこのころから考えられていたが、実を結ばず、戦後十六年をえてようやく発表会を行う段階にこぎつけたもの。

 この日、会場の那覇劇場は定刻二時間前の十一時には遠く南大東から来た人をはじめ熱心な観衆がつめすでに八分の入り、発表会が始まるころには立すいの余地もないほどの超満員。多数のおくれた観客が場外にあふれる盛況ぶりで大田主席、当間重剛氏ら各界の知名士も多数参観した。

 発表会は一時かっきりに比嘉協会長のあいさつで始まり、八十三歳の野原蒲一さんを筆頭に全琉各地の古武道の長老やその弟子たち七十余人が、それぞれの特技を披露、満場の拍手をあびた。

 発表会は一部、二部にわけられ、一部は青年層、二部は高齢者がおもに出演したが、高齢者の演ずる武道はさすがに長年のみがきがうかがわれ、一挙一動に格式高いもので観衆を魅了した。

 なお協会長の比嘉清徳氏の話によると、発表会に参加した出演者はまだ全体のごく一部とのことで、こんご機会あるたびに、出演できなかった人たちの武術を発表していく計画だという。

 この発表会を見た大田主席はつぎのように語った。

 大田主席の話 非常に感銘深くみせてもらった。古い武術の保存または普及は、ひいては新しい文化の創造にもつらなり意義深い。沖縄の祖先からつたわる輝かしい文化の保存はぜひ必要なことだが出演者が那覇や沖縄本島だけに限らず遠く南大東からもきているそうで、古武道というものが、いかに全琉的に親しまれ、かつ普及されているかを知った。実に心強い。

 当間重剛氏体協会長の話 私はまだ見たことのない武道というのが、どんなものかということに興味を持って見に来たわけだが、天竜のこん、与根川のこん、佐久川のこんなど〝こん〟という術はよかった。学生時代から長年、古武道をみてきたが、全琉の長老が一堂に集まって披露するという催しは初めてだ。いい催しをしてくれたと喜んでいる。

古武道⑨ 仲井間憲孝並びに内間安勇
2019.12.03

 

1961年1126

古武道⑨

 

父子で二丁ガマ

仲井間憲孝(51歳)

二丁ガマ

 

 明治四十三年那覇市久米町の〝棒仲井間〟とあだ名される武術一家に生まれ、物心ついたころには空手を始めていたという。十四、五歳のころには、武術を一通り修得したと語っている。

 この武術は、祖父憲里氏が清朝時代に福建省に留学して修得したもの。これについてエピソードがある。祖父憲里氏は十四、五歳のころ当時あった一万貫模合をおとした晩、泥棒がはいったが近所の人の機転で難をのがれたという。そのとき男のたしなみとして武術の必要を感じ習い始めたもの。

 この武術は、首里、那覇で知られたころ〝御冠船〟の歓迎会のとき憲里氏がタイを披露したところ清朝の役人の目にとまり、留学のきっかけとなったもの。

 三年間福建省で修行して帰ったが、憲里氏は、弟子をとらず、子から孫へと一子密伝の形で仲井間家に伝えたため、未公開のものが多く、とくに武器を用いる武術〝タイ〟〝カマ〟〝棒〟をはじめ〝テンベー〟〝守鎮〟など多く残している。

 そのほか沖縄独特の馬術も仲井間さんは修得しており、乗馬用の馬を持っているのは全島の校長の中でも仲井間さんだけと言われている。仲井間さんは「武術は原始的には殺人術だがそれを人倫の道にかなう道徳まで高め、哲学の境地に達してはじめて武道になる」と、さいきんおこった拓大の空手殺人事件の批判をちょっぴり。

 こんど公開される古武術について「古きがゆえに保存するのではなく、ほんとうに価値のあるもの」という観点からほかに目新しいものはたくさんあるが二丁ガマを選び他の人のカマと比較したいと意欲をもやしている。仲井間さんは二丁ガマ二段を演じ、一段を琉大にいる二男が受け持つことになり父子で出演することになっている。

 

https://www.youtube.com/watch?v=skD9iTGYVA8&feature=share&fbclid=IwAR3ZGSnTxP-q91fSmtqNAoB3lXfeC0RcMV3pXlLORti7K1Yjg2Vx3JyK6jw

 

 

内間 最年少の出演者

内間安勇(23歳)

ナイハンチ

 

昭和十三年南大東の北区に生まれる。離島からの出演者は内間さんだけで、さる四日に来覇、比嘉会長の宅で出演を待っている。最年少の出演者でナイハンチを演武する。内間さんのナイハンチは本島の型と違っているが、ナイハンチの原型がそのままのこっているのではないかと、見られている。

おじの安壱さんから指導をうけているというが、安壱さんは戦前南洋で、本部朝祐氏の息子トラジュー(通称)と寝食をともにしながら空手の修養にいそしんだ。本部さんは首里の武士松村の門弟で、安壱さんはその息子のトラジューから指導を受けたので、武士松村の流れをくんでいるというわけである。比嘉会長は内間さんのナイハンチを見て「目の位置、手と足、体の動作などが、本島のナイハンチと違う点がある。おじが本部朝祐氏の息子トラジューから指導をうけているので、こんどの内間君の演武で武士松村の原型をしのべるのではないか。みんなで注目するナイハンチである」と語っている。南大東では空手は普及されず、安壱さんとその息子、それに安勇さんの三人がやっているだけ。十四歳のときから習いはじめて、現在農業のかたわら空手のけい古に余念がない。

「こんどの公演に出演できるのを喜んでいます。本島の先輩たちの古武道も見られるし、またいっぺんは私もみんなのまえで演武したかった」と、公演をまえにはりきっている。

 

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