2020/04/27

 室町時代、今から五~六百年前の能役者、世阿弥の風姿花伝の芸術論に

 「真(まこと)の花」と「時分(じぶん)の花」という素晴らしい言葉が残されております。

 端的に申し上げると、時分のお花は「その時限りの魅力」に対して真の花は「決して散ることのない魅力」と表現される場合があります。

 そこで、この世阿弥の芸術論と空手道に合い通じる深い哲学があることを申し上げたい。

 折しも、沖縄の空手が東京オリンピックの正式種目となり、関係者は大変喜んでいるようでありますが、これを契機に指導者の皆さんには、空手道の本質をしっかりと掴み、後世に引き継ぐと同時に、本質と発祥の誇りを全世界に発信することを切に願っております。

 現今の県内の空手指導者たちには、伝統空手とスポーツ空手を推進する団体があるように見受けられます。

 スポーツ空手は文字通り若さ漲るパワーや演技で、それは見るものを魅了するもので「時分の花」に例えられます。それはややもすると勝負にこだわり、金メダルという名誉や金銭に結び付きやすい傾向にあるのではないかと思われます。

 一方、たとえ若い時に時分の花を咲かせた後も、生涯に亘りたゆまぬ努力を重ね、磨き抜かれたところから発する、言うに言われぬ美を発するのが「真の花」であり、風姿花伝の芸術論と見事に一致している事に、卓見した世阿弥の言葉だと感服しております。

 真の花・・・「奥妙は錬心にあり」

 伝統空手は単なる技や勝負ではなく、空手道という厳しい鍛錬・修行をする中で人格を磨き、心・技・体の一如を目指すものであります。

 この「真の花」という言葉には深い哲学があり、禅の心があると着眼しております。

 また、歴史上、かの柳生宗矩や山岡鉄舟など、皆この真の花を具現させた人達です。

 スポーツ界の金銭や名誉・権力がはびこる中で、スポーツ空手を全く否定するものではありませんが、物に囚われて心を失っている今日、沖縄の伝統空手の本質を再認識し、沖縄の文化や教育発展に寄与してもらいたいと思うのであります。願わくは、沖縄の空手指導者たちが、この世阿弥の哲学の一端にでも触れて、より深く追求し、精通されんことを期待するものであります。

 

 某禅僧の手記