2019/04/08

 2019年37日・8日琉球新報には、『よくわかる沖縄の歴史-社会変化を読み解く-第8話、尚真の時代は「黄金時代」か』①と②という文化コラムが掲載された。執筆者は、1941年那覇市生まれ、沖縄史学者・農学者、沖縄国際大学名誉教授の来間泰男氏。

 氏の記事では、沖縄空手歴史によく出てくる尚真王時代の「刀狩」について意見が述べられています。下記に、来間氏のコラムの一部を引用します。

 

《・・・・・・》

 まず、正史の中でも最もくわしい【尚真の業績-『球陽』】の記述を紹介する。球陽研究会編『球陽』読み下し編に33の項目があり、その4番目は下記の様に記述がある。《・・・・・・》

④刀剣や弓矢などを蔵にしまって護国のために備えた。

《・・・・・・》

 次に、【百浦添欄干の銘】について記述する。《・・・・・・》現物は残っておらず、撰者も不明だが、漢文で書かれたこの銘文は『琉球国碑文記』に記載されている。その内容は尚真王の功績をたたえたもので、11項目が列挙してある。そのうちのいくつかは『球陽』にも取り上げられていた。《・・・・・・》

刀剣弓矢の類は収容して、もっぱら護国利器とした。

 

武器は放棄されたか

 

 ④とⓔから、これまで、首里王府自体が武器を放棄したかのような理解が見られたが、そうではなかったことが、多くの研究者によって指摘されている。これは、王府の武器放棄ではなく、王府によって武器が一手に掌握されたことを述べているのである。語句の解釈としてはそれでいい。

 武器を回収したから「刀狩」だとする者もいる。日本史の上での「刀狩」との区別を明確にしておかなければ、誤解を招くことになるだろう。日本史では、豊臣秀吉の時代に刀狩があったが、それは武士から回収したのではなく、百姓(農民)から回収して、身分の区別をはっきりさせたのだった。琉球の場合は、「武士」とみなされている「按司」から回収したというのである。

 それでは、本当に、按司たちから武器を回収したのだろうか。もともと組織的な武力集団のいなかった琉球である。武器は、多少はあっただろうが、按司たちにとって重要な物ではないかと思われる。実態として武器が備えられていないということを見て、そのことを尚真の功績として書き上げたものではないだろうか。《・・・・・・》