2020/06/19

沖縄公開の夕べ

全国特別招待模範演武 <下>

 

1969923日掲載) 

 

空手の普及に努める

八木明徳範士(剛柔流明武舘)

スーパーリンペ

 

 八木さんは中学(二中)へ合格したという発表をうけたとき、さっそく祖父に手をとられて剛柔流の宮城長順先生のところへ弟子入りさせられた。彼の祖父も福建省で漢字や空手を学んでいた。とくに文武にたけた謝名親方の子孫にあたるので、武道は身につけなければいけないとなかば強制的に空手を教え込まれた。

 十四歳のときから、戦後、宮城先生が健在のときまで指導をうけた。宮城先生はたいへんきびしい方で、はじめのころは空手を教えるというより、正座させて一、二時間も話しだけきかす日々でした。そのため精神的にも肉体的にも苦しい事が多く、長つづきする門下生が少なかったという。しかし先生はついてくる者しか育てないという主義だった。

 八木範士は二中の四年生のころからは、久米町のクラブで学生を相手に指導し、戦後は税関の武道場で空手道の普及につとめた。現在は久米町の自宅に明武舘をつくり、剛柔流の後継者づくりにあたっている。

 八木範士は宮城先生から指導をうけたスーパーリンペを演武する。漢字では「一百零八手」と書き、百八の手ともいう。因みに、除夜の鐘も百八回つかれる。剛柔流のスーパーリンペは、最後に教える型ということで、五段以上になってから身につける。演武時間の長い型で、クーサンクーやパッサイのような派手さはなく、たいへん地味な型。八木範士は「本土の剛柔流の道場には、八㍉カメラにおさめたのをみせたことがあるが、こんどの日本武道館での特別演武のときには、多くの空手関係者の目の前で演武し、剛柔流の参考にでもなれば幸いです」とはりきっている。

 全沖縄空手道連盟副会長、剛柔会会長、那覇市久米町出身、五十七歳。

 

 (読者のために、原文を多少加筆する。)