仲井間先生の興味深いお言葉
2020.08.28

 1978年123日、沖縄国際大学にて、上地流空手道協会主催の「第一回全沖縄空手道選手権大会」が開催された。大会プログラムには、劉衛流空手道古武道保存会の仲井間憲孝会長の祝辞が掲載され、下記に紹介いたします。

 写真は、プログラムに掲載されていたものですが、元は、1977年上地完英先生発行「精説 沖縄空手道―その歴史と技法」に掲載された写真です。

 

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 其の任ではありませんが、本大会を祝しまして、一言ご挨拶を申し上げます。

 沖縄の空手道は、沖縄の歴史的、地理的、社会的特殊な風土の中で発生し、育ち、継承されて来た庶民の隠し護身武術「手」でありました。其の発達の過程においては多分に中国拳法の影響を受けたことは否定出来ません。今日、尚、中国拳法をそのまま継承している流派もあるくらいですから。

 日本の封建制度も、琉球の王朝制度も瓦解して武士の表芸として栄えた弓馬槍剣柔やその他の諸武術も一時は哀徴しますが、間もなく其の価値が再認識され、軍隊、警察、学校教育等に取り入れられ、剣道、柔道などとよばれ、実用にあるいは青少年の資質の向上、心身の練磨、人格形成の道として再び日の目を見るようになりました。空手は他の武道の蔭にかくれ、仲々社会的に顕在化しませんでしたが、昭和の初め大日本武徳会の武道種目に登録されてから「空手道」として他の武道と肩をならべるようになり、沖縄は空手道の本場、発祥の地として日本武道史にその存在を誇るようになりました。

 やがて昭和六年の満州事変をきっかけに、支那事変が起り、第二次世界大戦へと突入します。まことにうとましい動乱の世になります。「国力が同等か、それ以上でなければ戦争をしてはならない」ということは兵法の「いろは」でありますが、無謀な戦争をおっ始めて、「討ちてしやまん」、「一億玉砕」の相言葉もむなしく敗れます。

 マッカーサ元師は日本精神の研究家として数多い将軍たちの中でも異色な存在でありました。彼は国力不相応な戦争を米国にいどんだ日本人の精神構造を定義づけるのは「大和魂」であるとし、それの根源は日本の武道にあるとして全面的に武道を禁止しました。殊に剣道や銃剣術などは徹底的に禁じました。だが、空手道は先手なき平和の武道の徳を知ってかおかまいありませんでした。

 終戦後、あらゆる武道が百八十度の転かんを遂げ、スポーツとして再出発し、戦前に勝るとも劣らぬ隆盛をきわめるようになりました。特に空手道のそれは、すさまじいと言う方がよいようです。日本人は、他国、他民族のすぐれたものを取り入れて消化し、自家薬篭中の物にする天才的な才能を持っています。本土ではいち早く「寸止め自由組手」や「防具着け自由組手」を考案しました。一時期自由組手の是非について論争もありましたが、その形而上の問題も形而下の問題も論じつくされぬままに普及定着し、「これが日本の空手道だ」として、国内は勿論のこと欧米諸国にも進出し、自由組手が一世を風靡するようになりました。すでに空手道の世界選手権大会も四回持たれました。

 沖縄の空手道界は此の問題をそれ程大きく考えずに今日に至りました。然し、一部の流派ではすでに自由組手をして居り、又其の他の流派でも内々その研究はなされているものと伺っております。沖縄県高等学校体育連盟では数年前から「防具着け自由組手」が行なわれていますし、全日本高等学校空手道連盟では、「防具着」「無防具」の二本だてでやっています。もはや空手道がスポーツとして試合化されることに異論のある時代ではないようです。杞憂であるかも知れませんが、若しその理念と方法を誤ったら、あたら世界に誇る沖縄の文化遺産としての空手道も、空手道という名に値しないような異質のものに変容するのではないかと疑懼するものであります。

 キリストは、「塩若しその味をうしなわば何の用かあらん」と言われました。又、沖縄の生んだ中国書道の大家謝花雲石師は、「王義之書法源流にさかのぼらずして真の書道芸術は生まれない」と言って居られます。宗教に於ても、芸術に於ても其の心や原点はつねにふまえておかなければならないとの教えかと思われます。空手道は「伝統」と、「現代」の調和の上でその本来の武道としての資質は深められるものだと信じます。それ故、「型」と「自由組手」は表裏一体となり、車の車輪の如くして、相補関係を全うすべきものであると思います。いずれか一方への偏向は空手道の本来の資質を損う結果となるものと思います。

 さて、此の自由組手が一般化される世界的・時代的趨勢に鑑みて、沖縄の空手界は当面の問題に如何に対処し、如何なる理念をもって、如何なる方向に展開させて行くかの重大な岐路に立たされていると思いますがどうでしょうか。

 此の秋にあたり、上地流主催の第一回全沖縄空手道選手権大会が催うされますことは、沖縄空手道史上画期的な事であり、一大警鐘であり、試金石であると思惟致します。

 ここに関係者各位の御苦労と大英断に深甚の敬意を表し、あわせて本大会の御成功と選手諸君の御健闘を祈ります。

 甚だ要を得ませんがいささか蕪辞を述べてごあいさつと致します。

新連載の紹介
2020.08.20

 

 過去、柳原滋雄著「沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流」を紹介しました。

 柳原氏は、新たな空手関連連載を開始した。その名は「長嶺将真物語~沖縄空手の興亡~」。731日から全12話の予定で始まったこのシリーズでは、すでに3話が掲載されています。

 WEB第三文明:https://www.d3b.jp/npvolumn/10642

 

注意:連載及びウェブサイトに述べられる意見等はあくまで著者の意見であり、案内センターの意見ではありません。

県内での受け入れ状況について
2020.08.17

 沖縄県は731日、「緊急事態宣言」を発令しました。さらに8月14日、緊急事態宣言の期間は8月29までに延長されました。沖縄県立武道館、沖縄空手会館や多くの県内町道場は休業となっており、期間中は不要不急の外出や渡航の自粛を要請しております。

 したがいまして当案内センターは、コーディネート業務を8月末まで停止し、再開については、8月29日に、沖縄県の新型コロナウィルス感染状況をみて再判断いたします。

 

 

第1回沖縄空手少年少女世界大会の開催
2020.08.13

 沖縄県は、「第1回沖縄空手少年少女世界大会」の開催に向けて準備を始めました。詳細などはこれから発表されますが、現時点で分かる情報をお知らせいたします。

 

  大  会  名:第1回沖縄空手少年少女世界大会

  主  催:第1回沖縄空手少年少女世界大会実行委員会、沖縄県、

       沖縄伝統空手道振興会

  後  援:国関係機関、県内市町村、県内マスコミ各社等(予定)

  実施期間:20213年8月11日(水)~18日(水)(予備日を含む8日間)

  会  場:沖縄県立武道館、沖縄空手会館

 

※新型コロナウイルス感染症の状況を踏まえ、実施内容の変更、中止・延期になる場合もございます。ご了承ください。

 

儀間真謹著「継続は力なり」
2020.07.31

 19225月、船越義珍先生は文部省主催「第一回運動体育展覧会」において琉球唐手術を紹介した。その後、柔道の総本山講道館で公開演武が行われた。その時、沖縄県立師範学校を卒業して東京商科大学(現一橋大学)に進学していた儀間真謹氏(18961989)が助手を努めた。  

 儀間氏は、師範学校で糸洲安恒や屋部憲通の諸先生に師事した。以後、空手の普及に努められ、現在、儀間派松濤館流空手道として儀間先生の空手が継承されています。

 下記、儀間先生が執筆した記事「継続は力なり」を紹介します。

 なお、2011年923日、「儀閒先生23回忌と樋口師範の古希のお祝い」というパーティが開催された。その時の沖縄県指定無形文化財保持者の東恩納盛男先生の挨拶文の中で、儀間先生の人なりが紹介された。下記に挨拶全文を掲載します

 

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「継続は力なり」

 

全空連相談役

八十一翁

儀間真謹

 

 (緒言)私の生れた処は、沖縄首里金城町で、谷底見たような、何処へ出るにも石畳の崎嶇羊腸たる坂道で、幼い頃、素足で駈け昇り降りしたので、脚が丈夫になった。また赤貧洗うが如き家のため粗衣粗食、上級学校に進む時も無学資、アルバイト等した。その上、父五十七歳、母四十六歳の老の子で体が弱いので、健康第一と十五の時、空手、静座法に専念、一方スマイルスの西国立志伝や修養本を繙読して、丹そ偉人傑士は貧の蒸溜器を通過したものと、大いに発憤した。

 次に、空手新聞社からのご依頼により私の拙い体験から、前途有望の後進のために、老婆心から、空手について一言―

 「正しい拳は正しい心から」-そもそも空手道の目的は、心身の鍛錬にある。つまり空手道を通じて人格完成に心掛けることで、昔、沖縄では空手の達人を武士といった。人格者即ち君子の謂である。

さて、技術は鍛えれば、ある点に達しられるが、精神的の面は、終生到達点がない。四六時中猛鍛、苦鍛、禅と同じで常住坐臥空手に精通することで、拳禅一致という所以である。

 また、よく稽古せよというが、稽古とは古(いにしえ)を稽(かんがえる)ということで、「温故知新」という言葉通り昔の拳聖の苦心惨胆、編み立した形をみっちり学び(学びは真似ること)反復練習し、それをもとにして生々発展して行くこと。そして三日坊主でなく努力、努力、生涯続けること―「継続は力なり」といわれている。

 老兵は消えてゆく。春秋に富む若人よ我々老人を飛び越えて猛進されんことを熱望して擱筆する。終りに愚作一つ。

 人多き人の鑑(鏡)にならばやと

 磨け若人 空手魂

 

(筆者は東京都空手道連盟顧問、渋谷区空手道連盟会長)

 

空手新聞 第98

「展望車」コーナー

発行所:空手新聞社

発行日:昭和52820

 

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<<東恩納先生のメッセージ>>

儀閒 真謹先生

 樋口邦夫師範の御手紙儀間先生の二十三回忌法要と拝見し、四十年前の代々木修練会道場時代を 思い出してきました。儀間先生がお亡くなりになってから早や二十三年前だと知り、時のたつのが 早く感じました。
 儀間先生は武道家であり、教育者でもありました。先生は文武両道を会得された武人であったとい えます。儀間先生は空手を日本に普及された功績は大きいと思います。
 船越義珍先生と共に、嘉納治五郎先生のお招きで柔道の大本山講道館で空手の型を演武披露され、 空手の普及発展のきっかけをつくったこと(尽力)は大きいです。
 私が儀間先生にはじめておあいしたのは一九六〇年時代で、代々木修練会、長崎飯店の二階の宴会 場であったかと思います。その後新垣先生の依頼で週三回(火・木・土)代々木修練会道場で指導さ れたと思います。
 儀間先生の代理として樋口邦夫師範が助手として指導されていたと思います。儀間先生は教育界を退職 し、鹿島建設に勤務され、同建設会社の空手道部を指導された。東京の日本武道館での全日本空手道選 手権大会に於いて樋口師範を相手に模範演武を拝見したことがあります。投げ技が見事な演武で未だに 脳裏に浮かんでいます。普段の儀間先生は穏やかな物静かな人物だといえます。
 儀間先生は沖縄空手の歴史、とくに人物に詳しく、人名・年月日詳細に語られたことに感銘を受けた ことがあります。儀間先生から私は棒の型を教わったことがあります。儀間先生は船越義珍先生の三男 義豪先生からの伝授だということで教わりました。とくに印象に残ったのは、棒の突き方が非常に力強 く迫力があったことは未だに忘れません。
 道場訓も儀間先生のおしえでした。代々木修練会道場で稽古された門人全員流派関係なく儀間先生の徳 にふれていますので、皆んなの心の中に儀間先生は生きております。私自身はせんせいのご恩を一生の 宝として心にきざみ精進したいと思います。
 儀間派松濤館流は樋口邦夫という立派な武道家が継承されています。継承された樋口邦夫師範には心から 敬意を表します。儀間先生には心からなる感謝を祈り捧げます。
 合 掌

国際沖縄剛柔流空手道連盟
主席師範 東恩納盛男 拝

参考資料:儀間派儀間派国際空手道連盟のウェブサイト