2019/10/08

 

1961年1123

古武道⑥

 

出演者の最年長者

野原蒲一(83歳)

四方切り

 

 明治十二年東風平村字富盛に生まれる。八十三歳。出演者のなかでもっとも年上である。棒術を知らない部落の子どもたちでも〝野原のおじいさん〟といえば〝棒術の師匠〟だとよく知っている。

 柔道の三船十段のような小柄なタイプで、きびきびした動作は、この人が八十三歳にもなるかと、首をかしげたくなる。

 富盛部落は、戦前は棒の盛んなところで、八月十五夜の日には、南と西に分かれて棒術の演武大会があったという。しかし戦後になって途絶えてしまった。野原さんは部落伝来の棒術(四方切り)を復活させようと、懸命になったが実を結ばなかった。青年たちは棒に対する関心がないようだ。七十年余の棒を握ってきたので、部落から棒が滅んで行くのを寂しがっている。

 一昨年、公民館の落成式のときには、演武を買って出たほど、棒術の好きなおじいさん。部落での結婚式やお祝いがあるときなどは、喜んで演武をひきうけているという。

 「こんど古武道協会の勧めで那覇劇場で演武ができるのはほんとによかった。年で活発な棒を見せることはできないが、型だけはしっかり覚えています」と、はりきっている。七十歳までは七十斤ぐらいの重いのを、かつぐのはなんでもなかったというだけあって、〝四方切り〟を身軽にやってのけた。「よる年には勝てないな」と語りながらも、〝三方切り〟がこれですよと、つづけて演武、まだまだ元気なところを見せた。

 

 

 

気合術と〝セイサン〟を披露

高良繁(53歳)

氣合術

 

 こんどの発表会で気合術とセイサン(空手)を披露する。髙良さんは子どものときから武芸の好きな父蒲戸さんからいろいろな武術を仕込まれて成長した。十歳のときからサイを握ったというからもう四十年余りになる。  

 最初は父のサイやヌンチャクをとりだして遊び道具に使うていどのものだったが、次第に興味をおぼえ、父蒲戸さんがなくなってからも喜屋武朝徳さん(チャンミー小)に師事、空手を本格的にけい古した。髙良さんは空手、古武術、気合術となんでもこなせるが、とくにこんどは協会の希望で気合術とセイサンを演武することになった。

 「気合術」は千葉県安屋郡富田村に住む田村義一さんから手ほどきをうけたが、人間業とは思えないほどのはなれワザを演ずる。腕に六寸五分の針をとおし、それに鎖をつないで大型乗用車を引っぱったり、腹の上から乗用車をとおすので人間ワザとは思えない。那覇劇場での発表会は会場が狭いため、乗用車を乗り入れることはできないが、それに代わる極秘を紹介したいと語っている。セイサンはチャンミー小の形見の一つ。サンチンに似て、型をつくり、筋肉をきたえるのが主な目的で、空手をやる人ならだれでもやらなければいけないものだという。

 気合術は最低二十年修行しなければ、一人前になれないというが、髙良さんの両腕にある無数の針の傷跡は、修業の苦しさを物語っているようだった。

 

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