2019/11/07

1961年1125

古武道⑧

 

若い世代に伝えたい

喜屋武真栄(49歳)

サイ

 

 明治四十五年北中城村字比嘉に生まれる。小学生のころ恩師の喜納昌盛先生がサイの名人だったので、先生にあこがれ武道を習いはじめた。こんどの発表会では師弟いっしょにサイの演武をする。サイは手首の操作、動作が変化に富んでいるので、非常に興味深い武術である。だから今日まで四十年間もサイをつづけてきたが、鍛練が苦しかったということは覚えていないという。「どこの国でも民族保存のための武術がある。しかし沖縄のサイは世界の武術のように、相手を刺殺して自己を守るのではなく、相手に危害を与えず静めるのが目的である。これは言葉ではいいつくせない深い意義がある。

 沖縄のサイが人体をかたどって武具化したのも平和理念の象徴だ」と語り人の形を武具化したサイを両手に握って、スピーディーな操作を見せた。とくに手首の動作の変化がいちじるしく、まかり間違って側にサイが飛んでくるのではないかと、ハラハラさせられる。だがサイを握って以来、一度もサイをすべり落したことがないという。サイは人体をかたどった着想も立派なものだが、五本の指で自由自在に操作できるようになり、攻防の術にマッチしているようだ。「郷土独特のサイと棒を器具体操とし学校体育の科目にしたい。現在の演武は個人演武だが、これを団体演武にすれば、体育の上からも、また先祖ののこした立派な古武術を継承する意味で、教育的な立場からもいいと思う」と話し、またわれわれはより多くの若い世代へつたえて行く義務があるとつけ加えた。

(現沖縄教職員会事務局長)

 

柔と剛をかね合わす

兼島真栄(61歳)

ナイハンチ

 

 空手を健康法の一つにしている兼島さんはこんどの発表会でナイハンチとサンチンを披露する。兼島さんは子どものとき体が弱かったので「健康法」の一つとして父信備さんから空手を教えられた。それ以来空手は毎日の日課となり毎あさ雨が降っても風が吹いても空手をやっているという。

 兼島さんの空手は伊志嶺流といわれ、別名「熊の手」といわれている。見た目にはちょっと無格好だが迫力があり力感があふれている。ナイハンチにもいろいろな型があるが、動作がだいたんで力量のある人に適しているといわれている。兼島さんは「剛と柔」をかね合せているのが伊志嶺流の特徴であると語っていたが、空手着を着た兼島さんは六十一歳とは思われない若々しさが感じられる。

 まだ眼鏡の世話にならないで字を読み、この通りまだ元気だよとサンチンをやってみせた。「父の手ほどきで武術を身につけたが空手のけい古を苦に思ったことがない」という。空手のけい古は激しく、だれでも一度はネをあげるのが普通だといわれているが、兼島さんは毎日の日課にしたため、三度の食事と同じように楽しみをさえおぼえたという。

 十九歳に上京、日大の法科に学び、学生時代は空手や柔道に精進、現在、絵、書道、詩吟などで生活をエンジョイしているという。

(検察庁勤務)

 

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