2019/06/01

 

【沖縄タイムス】19611117

古武道③

 

チャンミー小らと修業

中村茂(67歳)

ニセシ

 

 明治二十七年名護町に生まれる。十五歳のとき沖縄県立中学校に入学、空手部に入部して空手を習い始めた。中村さんは子どものときから空手に非常に興味を持ち、おじいさんや先輩たちから武勇伝を聞いたという。そのため人一倍熱心で空手の上達も早かった。こんどの発表会では「ニセシ」を演武するがこれは通称〝国吉のタンメー〟から習ったもの。型としてはそれほど変化はないが沖縄に使い手は少なく貴重な技とされている。中村さんは昔チャンミー小や本部サールーといっしょに空手の修業をしたというだけあって根からの空手マン。空手のほかに棒術、サイなども心得ている。

 しかし、五十余年の武術生活にはいろいろな苦難があった。寒い冬の夜道をけい古にかよったり、旅回りをして空手の修業をしたという。そのような苦労が中村さんのひととなりをつくり何事にも屈しない不とう不屈の精神力を養ったようだ。いま自宅で道場を開いており弟子の数は千人にのぼるという。

 現在、沖縄の空手には、いろいろな流派があるが、中村さんは「昔は空手に流派はなかった。沖縄の空手を発展させるには各流派を統一しなければいけない」と語っていた。

 中村さんの道場には「人格完成」と大書した額がかかげられており、門弟たちも師の教えにしたがって日夜けいこに励んでいる。

(名護町489番地にすむ)

 

 

親子でテンベーを演武

比嘉勇助(70歳)

テンベー

 

 古武道が忘れられて行き、今では〝テンベー〟を演じうるのは、比嘉さんだけである。テンベーの保存につくす比嘉さんの役目は大きい。「テンベーが滅ぶのではないかと、心細い思いをしていた。こんど古武道関係者がテンベーを復活すると話していますので、喜んでいる。テンベーのできる人が、みんななくなって、惜しまれてならない。私は年をとっていますが、曲がりなりにもテンベーを演じたい・・・」と、意欲を見せている。

 テンベーとはかさと刀を持つ人とヤリを持つ人との戦いである。公演では比嘉さんがかさと刀を持つ人になり、五男の勇福さんがヤリの使い手を演ずる。親子意気の合ったコンビでテンベーの復活につとめるわけだ。とくにかさと刀の使い手は、相手の上を自由自在に飛ばなければいけない。人の上を飛ぶむずかしい役があるから、テンベーはあまり普及されないといわれている。「僕が若いころは、君らの上を飛ぶのは、なんでもなかった」と、飛ぶようなマネをしながら方言で語った。がっちりと肉のひきしまった小柄なタイプで、たしかに若いころは人の上を自由自在に飛んだろうと、思わせる元気なおじいさんである。

 明治二十四年知念村久手堅に生まれ、明治四十四年大分歩兵七二連隊に入った。大正二年に除隊した。除隊後二十四歳のとき首里の新垣先生に指導をうけたという。歩兵隊でのきびしい訓練が、テンベーを習うのに大いに役立ち、習得するのが早かった。新垣先生のなきあとは、知念、玉城、佐敷の青年に指導したが、苦しい試練がともなうので、みんなあきらめてしまって、相手になるのは息子の勇福さんだけである。いそがしい畑仕事のかたわら、比嘉さんはテンベーの公演を目ざして、張り切っている。

 

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