特集記事

古武道② 伊礼松太郎並びに仲村平三郎
2019.05.24

【沖縄タイムス】19611116

古武道②

 

目を忍んでけい古

伊礼松太郎(82歳)

銷鎌

 

 鎖鎌の使い手で最も年長者、十九歳から習い始めたというからもう六十余年の武歴の持ち主である。銷鎌は農村で発生した武術で、身近な鎖やカマを武器にしてあみだされた。そのため型は一定せず、地方によっていろいろな型がある。伊礼さんは越来に住み安里のタンメーから鎌の手ほどきをうけたというが、その動機は単純なもの。「兵隊を志願していたので、本土にいけばバカにされてはいけないから」だという。また当時農村では空手とか鎌を習う人は野蛮人とか乱暴者としてきらわれ妻のさがせないほど敬遠されたようだ。そのためほとんどの人が人目を忍んで夜けいこに通い武術を習った。最初は空手からけいこに入り、腕をあげるにしたがってサイ、棒、カマといろいろな技を身につけ、二十五歳のとき初めて村芝居で空手、鎖鎌を披露、三十一歳のとき弟子十二人といっしょに大演武会を開いた。

 「芸は身を助く」といわれているが、伊礼さんも武術を心得ているためいろいろな災難を克服できたという。それは身を守ることだけではなく、苦しさに耐え忍ぶ精神力も自然に養われた。

 現在沖縄の古武術、とくに鎌は使い手も少なく滅びつつあるが、伊礼さんはカマを志して習いにくる人にはだれにでも心よく教えている。こんどの演武会は沖縄の古武術の大家が一堂に集まってそれぞれの奥義を披露し、古武術を普及するのがその趣旨だが、伊礼さんは孫の富田信幸さん(24歳)にサイやカマなどを教えている。

 

 

学生時代、空手に親しむ

仲村平三郎(68歳)

チソーチン

 

 明治二十六年本部町字渡久地に生まれる。十七歳のころから空手に親しみ、今日まで精神の修養と健康法としてつづけてきた。発表会ではチソーチンの型を演武するが、これは学生時代に名護町の武士国吉(通称)から手ほどきをうけたという。師範時代(1)には屋部健通先生の指導をうけた。「空手はからだづくりと精神をきたえるのに、いい運動である・・・」と空手のよさについて静かな口調で語る。よっぽどの空手好きで、師範学校を出てから五七年まで教員生活を送ってきたが、中村さんが赴任する学校では、生徒に空手を指導、とくに上級生にはピンアンや組み手などを教え、運動会の種目の中に取り入れた。五七年本部小学校の校長を退任。現在本部区教育委員長である。

 感じのいい人で、空手で鍛えた均整のとれた姿は、年よりずっと若く見える。教員生活のころは生徒たちから親しまれたことだろう。初の発表会に出演するとあって、新しい空手着を求めて、あさけい古に余念がない。「みんなのまえで演武しますので、いいかげんなことはできませんからね。けい古をやっているのですが、どうも年で、うまくやれるか心配ですよ」と、ひかえ目に語っているが、どうして、なかなか迫力のなる空手を見せている。カメラを向けチソーチンを演武してもらったら、真剣な表情でまだまだ健在なところを見せた。関節のなる音や身軽な体さばきは、平素のおとなしい顔と違い、威厳な感じをただよわせていた。

 

(1)沖縄師範学校

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古武道① 喜納昌盛と新城平三郎
2019.05.14

 

【沖縄タイムス】19611115

古武道① 

沖縄古武道協会(会長比嘉清徳氏)では文化財保護委員会、琉球新報社、沖縄タイムス社の後援で26日午後1時から那覇劇場で初の発表会を開く。これは滅び行く郷土の古武道を復活させようというもので、全島各地から50人余の権威者が参加し、棒、サイ、鎌、ヌンチャク、テンペ―など、60余種目を演武する。83歳の野原浦一翁(東風平村)の高齢者から24歳の年少者までまじえ、発表会にそなえて張り切っているが、そこで主なる出演者の横顔を紹介しよう。

 

筑佐事から直伝

喜納昌盛氏(79歳)

サイ

 

 「サイ」は昔 筑佐事(捕吏)が携行して王様の護衛や群衆の整理、または犯人を捕まえるために使用したもので本土の十手に似ている。

 喜納さんがサイを始めたのは十八歳のとき、村の先輩や友人から手ほどきを受けた。喜納さんの出身地島袋(コザ市)は非常にサイが盛んで、一種の護身術として村の青年たちに普及されていたという。しかしこれらはいずれも自己流筑佐事のまねをして習得したものであったようだ。

 現在沖縄にサイの使い手はたくさんいるが、流派はなく型が統一されていない。喜納さんのサイは首里城に使えていた筑佐事の大筑(役名)から直伝されたので、いわゆる正統派ということになる。サイは「打つ、受ける、つく、打ち落とす」のが主で、護身のための武術である。喜納さんは「天の下で悪いことはできない。サイに先手なし」と弟子に教えていると語っていたが、三十二年間教職につき、またクリスチャンとして静かな余生をおくっている。弟子には喜屋武真栄、泉川寛徳、喜納昌伸さんなどサイの使い手として知られている人がいる。「もう八十歳になるおじいさんだよ」と喜納さんは大きな声で笑っていたが、サイを使う手さばきは鋭く、こんどの那覇劇場での発表会は生涯をかけて習得したサイの技と奥手を紹介したいと語っていた。明治十五年生まれ。 

 

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南京で〝術〟を修業

新城平三郎氏(47歳)

空手術

 

 大正三年読谷村字宇座に生まれる。父が空手の好きな人だったので、小さいころから空手に親しんだ。十七歳のとき父の勧めで中国(南京)へ渡り、官明先生の道場で空手術の修業をした。空手は武器や芸でもない。精神の鍛練が目的である。空手術・・・〝術〟というのは精神の修養を意味するものだと、話している。発表会では八番線(針金)を腕に通すことになっている。細い火ばしのようなもので、空手で気合をかけ、一気に腕を通してしまう。一滴の血も出ないし、何の痛みも感じない、というから人間わざとは思えない術である。

 この術を習得するには、よっぽどの精神の修養を積み、六年間も没頭した。空手で鍛えたがっちりした体格、盛り盛りとした筋肉が、鍛錬の苦しかったことを物語っている。

 戦後、本土(鹿児島)に引き揚げたが、高松宮殿下が鹿児島へおいでになったとき、歓迎会で空手術を披露した。今までに十八回、八番線を通したが、高松宮殿下の歓迎会でやったのが、一番印象が深く、陛下も不思議がって、痛くはないかと労をねぎらわれたという。

 術をかけ針金を通してしまえばそれまでだが、精神統一を行い、術をかけるときの神経と体力の疲労はなみたいていなものではないという。「こんど久しぶりに公開できるので喜んでいます。その日の術のかかりぐあいがうまくできるか、できないかの分れ目になる。沖縄では私だけしかできない空手術だといって、古武道協会が推せんしていますので、ぜひしっかりやらねば・・・」と、八番線を手にしてはりきっている。現在那覇市西武門で製靴店を営んでいる。

 

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「第一回古武道発表会(1961年)」特集プロジェクト
2019.05.14

 

 1961年11月26日、沖縄古武道協会(当時比嘉清徳会長)は、文化財保護委員会、琉球新報社、沖縄タイムス社の後援で「第一回古武道発表会」を開いた。その際、11月15日から26日まで、沖縄タイムスは「古武道」という連載を掲載し、18名の武道家が紹介されました。

 九つの記事で紹介された方々には、喜納昌盛、中村茂、兼島信助、知念正美、祖堅方範、石川逢英、比嘉清徳、喜屋武真栄、兼島信栄、仲井間憲孝などの当時の大家です。

 沖縄タイムスの許諾を得て、沖縄空手にとって財産であるこの連載と関連資料を紹介いたします。 

 内容は下記の通りです。 

 

  1. 【沖縄タイムス】1961119日 「古武術を復活 古武道協会 26日初の発表会」
  2. 【沖縄タイムス】1961年1115日 古武道① 喜納昌盛(サイ)、新城平三郎(空手術)
  3. 【沖縄タイムス】1961年1116日 古武道② 伊礼松太郎(鎖鎌)、中村平三郎(チソーチン)
  4. 【沖縄タイムス】1961年1117日 古武道③ 中村茂(ニセシ)、比嘉勇助(テンベー)
  5. 【沖縄タイムス】1961年1121日 古武道④ 兼島信助(ドーチン)、知念正美(佐久川のコン)
  6. 【沖縄タイムス】1961年11月22日 古武道⑤ 祖堅方範(鎖鎌)、城間大盛(大屯棒)
  7. 【沖縄タイムス】1961年1123日 古武道⑥ 野原蒲一(四方切り)、高良茂(氣合術)
  8. 【沖縄タイムス】1961年1124日 古武道⑦ 石川逢英(ヌンチャク)、比嘉清徳(宋氏のこん)
  9. 【沖縄タイムス】1961年1125日 古武道⑧ 喜屋武真栄(サイ)、兼島信栄(ナイハンチ)
  10. 【沖縄タイムス】1961年1126日 古武道⑨ 仲井間憲孝(二丁ガマ)、内間安勇(ナイハンチ)
  11. 【沖縄タイムス】19611127日 「80翁も〝エイヤッ! 超満員の古武道発表会」
  12. 【琉球新報記事】19611127日 「一挙一動に感銘 20年来の悲願 古武道、発表会開く」

 

註釈:

① 沖縄タイムスの連載の一部の記事の英訳は、沖縄伝統空手総合案内ビューローのウエブサイトで掲載されたことがあります。この団体の了解を得て英訳を再利用しています。

② 名前の表記には一部、読み方に誤りがある可能性がありますのでご了承下さい。記事について、お気づきの点がありましたら、ご連絡をお願いします。

「刀狩り」に疑問
2019.04.08

 2019年37日・8日琉球新報には、『よくわかる沖縄の歴史-社会変化を読み解く-第8話、尚真の時代は「黄金時代」か』①と②という文化コラムが掲載された。執筆者は、1941年那覇市生まれ、沖縄史学者・農学者、沖縄国際大学名誉教授の来間泰男氏。

 氏の記事では、沖縄空手歴史によく出てくる尚真王時代の「刀狩」について意見が述べられています。下記に、来間氏のコラムの一部を引用します。

 

《・・・・・・》

 まず、正史の中でも最もくわしい【尚真の業績-『球陽』】の記述を紹介する。球陽研究会編『球陽』読み下し編に33の項目があり、その4番目は下記の様に記述がある。《・・・・・・》

④刀剣や弓矢などを蔵にしまって護国のために備えた。

《・・・・・・》

 次に、【百浦添欄干の銘】について記述する。《・・・・・・》現物は残っておらず、撰者も不明だが、漢文で書かれたこの銘文は『琉球国碑文記』に記載されている。その内容は尚真王の功績をたたえたもので、11項目が列挙してある。そのうちのいくつかは『球陽』にも取り上げられていた。《・・・・・・》

刀剣弓矢の類は収容して、もっぱら護国利器とした。

 

武器は放棄されたか

 

 ④とⓔから、これまで、首里王府自体が武器を放棄したかのような理解が見られたが、そうではなかったことが、多くの研究者によって指摘されている。これは、王府の武器放棄ではなく、王府によって武器が一手に掌握されたことを述べているのである。語句の解釈としてはそれでいい。

 武器を回収したから「刀狩」だとする者もいる。日本史の上での「刀狩」との区別を明確にしておかなければ、誤解を招くことになるだろう。日本史では、豊臣秀吉の時代に刀狩があったが、それは武士から回収したのではなく、百姓(農民)から回収して、身分の区別をはっきりさせたのだった。琉球の場合は、「武士」とみなされている「按司」から回収したというのである。

 それでは、本当に、按司たちから武器を回収したのだろうか。もともと組織的な武力集団のいなかった琉球である。武器は、多少はあっただろうが、按司たちにとって重要な物ではないかと思われる。実態として武器が備えられていないということを見て、そのことを尚真の功績として書き上げたものではないだろうか。《・・・・・・》

糸洲安恒~写真の再検証
2019.03.04

 31日、沖縄県庁内で、沖縄県空手振興課主催の「沖縄空手アカデミー」の発表が行われました。空手関係者約30名が参加しました。

 第三回になるこの開催のテーマは、「『糸洲安恒』写真の再検証-同時代史料による裏付けの重要性について-」でした。検証と発表を行ったのは、同課空手関係学芸業務補助員の仲村顕氏です。今回、その発表の内容を要約・抜粋して紹介します。後日、発表の特集記事をこの案内センターのウェブサイトで紹介する予定です。こうご期待。

 2006年に、沖縄タイムスで『伝説の空手家 写真発見』という見出しの記事が掲載されました。沖縄空手に大きな足跡を残した、「糸洲安恒(1831-1915)の写真発見」を報じる記事でした。以降この写真は糸洲安恒の写真として多く使用されましたが、近年新たに見つかった史料等をもとに再検証がなされました。

 ところで、2006年沖縄タイムスに報じられた写真には、徳田安貞氏が写っています。徳田氏は、1910年に沖縄県中学校(のちの沖縄県立第一中学校)を卒業しています。当時の中学校は5年学期制度でしたので、この写真は、1905年~1910年のものであることが解ります。

 仲村氏は、同時代史料を検証・調査するなかで、琉球大学附属図書館に保管されている資料、師範学校の雑誌『龍潭』第9号(1911年発行)所載の2点の口絵写真を発掘しました。

 下記一点参照:タイトルは「本校職員と43年度一部の卒業生」となっています。左側;写真保護紙に記述された参加者の役職及び苗字。右側;実際の写真です。この資料の出所・提供元は、琉球大学附属図書館です。

 

 

 

 両写真に、2列目右端に、糸洲安恒と思われていた人物が紹介され、そして、そのもう片ページの名簿表には「三宅先生」と紹介されています。

 今まで糸洲安恒と思われた人物は、1847年生まれの宮崎県出身士族、三宅三五氏で、沖縄警察撃剣教師や沖縄県師範学校そして沖縄県中学校(のちの一中)撃剣指導教師(官)を務めていた方であることが解ります。

 なお、2006年に沖縄タイムス紙面で発表された写真は、一部が欠損した集合写真であり、完全版なるものではないことも解ります。

 徳田安貞氏のアルバムから写真を入手した新崎盛敏氏は、「この写真の中にイチジ(糸洲)のタンメー(おじいさん)がいるよ」という証言を残しています。もしかして、欠損部分に糸洲安恒の姿を見るかも・・・?

 今後とも、更なる浪漫が、空手愛好家にもたらされるでしょう。

 

 注釈:この記事は、沖縄県空手振興課の監修のもと掲載しています。

(敬称略)